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昭和の名工の逸品
昭和の名工の逸品
--- 「宝石の街」と呼ばれている山梨県甲府市
「宝石の街 甲府」と呼ばれるほど、ジュエリーや天然石の工芸品の製造・加工が盛んな地域として知られている、山梨県甲府市。
そう呼ばれるようになったきっかけは、実は私たちに非常に馴染みが深い、「水晶」にあると言われています。
山梨県北部に位置する、金峰山一帯から産出される「山梨県産 水晶」。 遡ること江戸時代の昔から、山梨の職人たちはこの水晶を用いて研磨技術を磨いてきました。そのことが今日、伝統工芸品にも用いられる数々の高度な貴金属工芸技術の発展につながったとされています。
そんな甲府で100年以上の歴史を持つ、とある会社様とご縁をいただくことができました。
社長様とお話ししている中で、実は会社の蔵に初代から受け継がれている天然石の彫刻品が多く眠っているとのお話を伺い、
「是非、一度そちらの品々を見せていただけないでしょうか」と、
ご無理を言って、現地に赴き、実際に蔵を覗かせて頂きました。
--- 半世紀以上も眠りについていた、「日本製 彫刻品」
蔵の中に入ってみると、収納箱や棚はかなり年季が入り、埃をかぶってしまっていました。長い年月、人の手が入らなかったのだと、容易に想像することができました。
その中でも、最も興味深かったのが、昭和14年~45年頃に甲府で制作された彫刻の品々でした。
こちらの会社様は、もともと水晶やローズクォーツ、メノウなどの原石を世界中から輸入し、
自社の職人たちの手によって研磨彫刻し、 世界中に輸出していた歴史があるそうです。
現代の天然石業界では、ほぼ100%が海外で研磨彫刻されたものが流通しているという状況です。そう、今となっては滅多にお目にかかることができない、まさに「昭和の名工の逸品」といべき品々がそこには眠っていたのです。
それを目の当たりにした私たちは、そのクオリティーの高さ、得も言われぬ繊細さ、そして昭和の時代の名工が刻み込んだ確かな愛に、愕然としました。
--- 明治・大正という激動の時代を歩んだ初代の想いを、現代に。
素晴らしい彫刻品を目の当たりした私たちは、4代目となる現社長に、すぐにこちらの品々を譲っていただけないかと交渉しました。が、
「これらは初代から受け継いだ逸品であり、いままで100年以上も受け継がれきたものですので…。」
と断られてしまいました。
しかしながら、かつて日本にもこのような素晴らしい彫刻技術と製品があったことを世の中に知っていただくこの上ない良いタイミングであると思い、
何度も交渉を続けたことで、4代目の現社長から、なんとか了解をいただくことができました。
しかし、購入の手続きの段階になった時に、 今度は「番頭さん」といわれる先々代(2代目)から社長に仕えておられる方から、
「NG」
が出てしまい、今度はその番頭さんに、我々の思いの丈を伝えさせていただきました。
--- 天然石卸業としての、「使命」を胸に。
「なんとかこの素晴らしい彫り物を、昭和の名工の逸品を、 今の海外生産の彫刻しか見たことがない、日本のお客様にお見せしたい」
「日本の水晶の歴史の原点を作られた、甲府の加工の歴史の原点を作られたと言っても過言ではない、 御社の彫刻製品やカット石の魅力を、石を愛してくださっている方々にお届けしたい」
「この蔵の中で、初代様や2代目様の思いをずっと眠らせておくのはもったいない」
「その思いを、是非とも私たちに引き継がせてください」
と申し上げたことろ、会社の歴史を肌で知る番頭さんからも、ご了承をいただき、なんとか譲っていただくことができました。
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--- 二度と手にすることができない、「昭和の名工の逸品」
半世紀以上ぶりに、蔵から出てきた彫り物たちは、喜びに満ちた表情を浮かべているようでした。
陽の光を浴び、人の目に触れることはできたのは、本当に、何十年ぶりか。
蔵で品々と一緒につつまれていた新聞を見てみると、古いものでは昭和14年~昭和20年代までと、見るだけでも長い歴史を感じずにはいられません。
なお、彫刻品はすべてを私たちが引き継いでまいりましたので、「昭和の名工の逸品」の販売は一度限りとなります。
今を逃すと、この「昭和の名工の逸品」は二度と手に入れることはできません。 ぜひこの機会に、日本の職人による素晴らしい作品を手してみませんか!?
--- 「昭和の名工の逸品」 販売スタート |
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